批判するなら対案を。明治時代の私擬憲法

今、憲法をめぐって様々な議論がなされています

まず最初に、一介の経済人の私の立場から個別の賛成・反対は申し上げることはありません

しかしながら空転する議論はいたずらに様々な人を傷つける事になりますので

それを避けるために様々なプロジェクトをプロデュースしている自分の立場から

提案出来る事が1つだけあります

それは「批判をするのであれば対案を出すべし」ということです

「55ものインディーズ憲法が出来た明治時代」

自由民権運動が進む明治12年ころ、江戸幕府という大きいシステムが

明治政府という新しいシステムにメジャーアップデートして完全に仕組みが変わったとき

それまで、倒幕でまとまっていた国内の意識が、もはや倒すものがなくなり

目標、目的のようなものが失われ、日本は国家として次のビジョンを急いで作る必要に迫られていました

倒幕は手段であり、目的ではなかった、ということに、

明治維新という一大イベントから10年ほどたって、皆が我に返り気づいた時期ということでしょうか?

当時の日本の人たちはユニークでした

「他国が憲法というものをつくって国家ビジョンをつくっているらしい」

普通はここで終わるのですが、なんと「私擬憲法」というインディーズ憲法を

様々な立場の人たちが提案したのでした

230年一度も戦争がない、識字率が85%という

徳川家康が作り出した素晴らしいモラトリアム、江戸時代が育てた

日本の民度の高さがベースだと思います

※江戸時代のフランスやイギリスの識字率は10%前後です。

最終的には、伊藤博文がプロデューサーとして

国家を人格とし、自我(君主)、意思(立法)、行動(行政)の

3つに機能をわけ、内閣=行政を作り、憲法をたて

明治憲法を制定する、という結論になりましたが

私擬憲法を通じて10年ほどかけて民衆側に受け入れる素地が

出来ていた事は決して無駄ではなかったと思います。

 

現代も似た状況。もっと案が出てきて良さそう

今の世の中で憲法考えきる人がどの位いるのかは寡聞にして知りません

マニフェストがバズワードとして流行った時期がありますが最近は聞きませんね

70年間もの長い間、直接の戦争がなく、文化を育ててきた状況下で、人口も当時より多く

明治時代より遙かに裾野は大きいはずなので

国家ビジョンを憲法レベルでもっと語る人が居てもおかしくないと思います

 

アメリカが「国家の警察」を降り、日米安保はありながらも

ある程度、日本が自衛を本気で考えなくてはいけない

グローバル化が進み、民主主義や資本主義にも何となくみんな限界を感じている。

戦後70年を期に戦後日本は、1つシフトチェンジをする必要があるように見受けます。

すなわち「次の日本」のビジョンを議論する段階に来ているのだと思います

彼方立てれば此方が立たぬ

今の議論の多くは「各論」にフォーカスしており

全体としての整合性のバランスについて議論されている印象は少し薄いです

わかりやすく、過激な各論の方が取り上げやすいんだと思いますが

2項対立で整理出来るほど、国家経営はシンプルでもないように思います。

 

会社経営をやっていると、あちらを立てればこちらが立たない、

木を見て森を見ず、無理を通せば道理が引っ込む、ような事が大量にあり

決めかねる事があります

そのときに立ち返る行動指針やビジョンがどの会社にもあり

弊社も結論出しに迷ったときは

日本のよいものを世界へ 世界のよいものを日本へ 

伝統のよいものを現代へ 現代のよいものを伝統へ

というビジョンに沿っているかどうか、立ち返るようにしています

 

国家も経営ですから、会社よりはるかに

整合不整合があるように感じます

各論の議論ではなく「憲法」レベルで

全体のビジョンを議論をしてくれる人たちが

もっと出てくると面白いなと思っています

我々日本人の文化レベルは世界に胸を張って良い高さにあると考えています

同じ日本人同士で傷つけあうのではなく、大きいビジョンで語り合えるような対案を持ち合って

議論していければ喜ばしいと考えています

 

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